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どうもー。ソムリエ・ビブリオテークにようこそ!
毎回、歴史上に登場した人物や事件を通してワインに魅せられていくページです。 司会・進行役は、もう皆さんにお馴染み(?)の「イトウケンジ2号」が努めさせていただきますので最後まで見ていってねー。
さてさて、今回ご登場いただく人物は、なんと! フランス革命に大きく関与いたしました有名なこの方でございます。ジョルジュ・ジャック・ダントン(1759―1794)であります。皆さん! 拍手をー! パチパチパチー!
ダントン :
「現代の諸君! 拍手で出迎えてくれてありがとう! 私がダントンであります。そして、ケンジ1号、2号、今年最後のビブリオテークにお招き頂いたことに感謝します」
ケンジ2号:
「こちらこそ、ダントンさん。僕たちもお会いできたこと、嬉しく思ってます。ところでダントンさんは、フランスのどこでお生まれになったのですか?」
ダントン :
「私は、1759年10月28日に、シャンパーニュ地方のアルシ・シュル・オーブという町(革命後にオーブ県に所属)に生まれたんだよ。私の祖父の代までは農民だったんだが、父は、この町の裁判所の書記を務めていた。私が2歳の時に彼は亡くなってね、その後は再婚した母と義父に育てられたんだよ」
ケンジ2号:
「そうだったんですかー。それで、どういう教育をうけられたんですか?」
ダントン :
「1773年、14歳の時にトロワという町にあるオラトワール派神学校に入学したんだよ。その当時、私は、古典文献に熱中し、愛読するようになったのだけれどね。 その後、パリに出て、弁護士事務所書記になり、法曹職の実務を知るようになったとともに、ベッカリーアやあの『法の精神』の著者であるモンテスキュー、そして、ディドロを愛読し始めたんだよ。それらを通じて、英語やイタリア語も学んだわけだよ。またこれが!」
ケンジ2号:
「すごいじゃないですか! ダントンさん。カッコイイ!」
ダントン :
「はっはっはっはー。照れるじゃない! それで、この頃、結婚もしたわけ」
ケンジ2号:
「えっ、お相手はどんな方なんですか? ぜひ、聞きたいなあ」
ダントン :
「プロコープっていうパリにある有名なカフェをご存知かな?」
ケンジ2号:
「うーん、考えてもいまいち出てこないなー。ケンジ1号、プロコープって言うカフェのこと知ってる?」
ケンジ1号:
「やあやあ、ダントンさん、はじめましてケンジ1号です。で、プロコープですよね? このカフェは、現在も存在しています。大変由緒ある有名なカフェで通っていて、面白いエピソードとしては、ナポレオンの下積み時代にこのカフェを利用し、ナポレオンが財布を忘れて、お詫びの印に置いていった砲兵隊の帽子が今でも店内に展示してあるカフェのことでしょ」
ダントン :
「おっ! なかなか詳しいではないか、ケンジ1号。そのプロコープのオーナーの娘、ガブリエル・シャルパンチェと私は結婚したわけだよ」
ケンジ2号:
「うわー! おめでとうございます。それで結婚後のご活躍は?」
ダントン :
「そうそう、1787年には、義父の援助によって、王立裁判所の弁護士職の株を買い、国王顧問会議付弁護士になれたわけだよ。この頃から徐々に芽生えてきた革命運動を熱烈に支持し始めたのだよ」
ケンジ2号:
「フランス革命前夜というかんじですね」
ダントン :
「それに、1787年は、フランスのほぼ全土において大干ばつ・飢饉・物価高騰などにより、未曾有の経済危機に直面し、パリの女性たちがデモを起こし始めたのだ。 1788年8月16日には、当時の財務長官であったブリエンヌが国庫の破産を宣言して本人も辞職。その後、かの有名なネッケルが再任され、例の三部会の第三身分の倍加をルイ16世から獲得し、第三身分の影響力がより強くなり、ついに、1789年6月20日に球戯場の誓いへと発展したのだよ。 私自身、それらを熱烈に支持し、この革命運動の渦中に身を投じた訳だ」
ケンジ2号:
「へぇー、だんだん面白くなってきましたね。ダントンさんご自身、どんな事件に関与されたのですか?」
ダントン :
「そうだね……。まずは、1789年の9月にコルドリエ地区の議長に選出され、翌年には、コルドリエ・クラブを創設し、より一層、民衆に革命運動をアピールしたんだよ」
ケンジ1号:
「その雄弁さで民衆の人気を獲得していったのですね」
ダントン :
「そう言われるとありがたいね。だた、その後、1791年6月20日から21日にかけて国王一家が逃亡し、ヴァレンヌで逮捕される事件(ヴァレンヌ逃亡事件)が起こったわけだ。 そして我がコルドリエ派が、議会に共和制宣言を要求した。その際、ルイ16世の退位を求める請願文の作成の責を問われて一時イギリスに亡命することになり、帰国後、1791年末、パリ・コミューンの第2助役になったんだよ。しかし、考える事があって、実際に君主体制にはっきりと反対する決意を持つのは、1792年6月ぐらいだったと思う」
ケンジ2号:
「いよいよ、1792年8月10日の民衆蜂起ですよね?」
ダントン :
「そうなのだ! あれは、パリ人民とフランス全土からの連盟兵、そして、私とロベスピエールらの指導のもとに、国王一家が住んでいるチュイルリー宮を攻撃したんだよ。その時、国王は、議会に避難した際、事実上、国王の権利を停止させた。翌日の11日に、ジロンド派内閣を復活し、私は、モンターニュ派でありながらたった一人だけ法務大臣の職に任命されたのだよ!」
ケンジ2号:
「すごいじゃないですかー! それで、どうなったのですか?」
ダントン :
「まず、反革命容疑者に対する最初の処置をとり、続いて国王一家をパリのダンブル塔に幽閉した。それから、敵軍(オーストリア軍とフランス亡命貴族の連合軍)がフランス国内に侵入したりと、めまぐるしく情勢が変化する。我が祖国が危機に直面しており、国民をはじめ、動揺する議会と政府の士気を高めるために私は、こう演説したのだよ! 《大胆なれ! さらに大胆なれ! 常に大胆なれ! さらば祖国は救われる!》 この演説で彼らの士気は高まり、私を救国の英雄としてみてくれたのだ」
ケンジ1号:
「あの、有名な演説を生で聞けるとは、なんて! 感動的なんでしょう!」
ケンジ2号:
「ねえねえ、ところでワインの話は無いの? ダントンさん」
ダントン :
「おーそうだった。ワインの話ね。もちろんあるとも」
ケンジ2号:
「聞かせて、聞かせて」
ダントン :
「この革命政府が唯一認めたワインがあるのだけれど、それは、何かわかるかね? ケンジ1号」
ケンジ1号:
「うーん。ボルドーは、貴族的要素が強いので、貴族の土地や建物などを政府が没収したりとかで、この地方のワイン産業は虐げられたんだよな」
ダントン :
「その通り。他に思い当たるのは?」
ケンジ1号:
「じゃあ、ブルゴーニュは、と考えたのだけれど。この地方も有名な畑のほとんどが教会の領地であったのでこれも革命政府の意向にそぐわなく、教会を解体し、それらの領地を没収し、国民に対し、畑などを競売にかけたぐらいだからなー」
ダントン :
「そうだね。では、私が申し上げよう。革命政府が唯一認めたワイン、それは、シャンパーニュだよ!」
ケンジ1号:
「あっ、そうか! シャンパーニュを造りだしたのは、やはり教会や修道院が最初だけど、どんどん民間のシャンパーニュ・メーカーが創業してますしね。 それに、この発泡しているのが画期的で、新しい国家を創ろうとするフランス革命の象徴的要素としてはもってこいのワインですよね。それに、ダントンさんは、シャンパーニュ地方のご出身で、また、奥様は、プロコープのオーナー令嬢だし、ダントンさん自身、法務大臣なわけだから、非常に納得できますね」
ダントン :
「わっはっはっはー。私が薦めたのわかった? でも、マラーは、スイス出身だし、ロベスピエールはフランスの北部、アラス出身だから、あまり、そういうこと気にかけないんだよね」
ケンジ1号:
「うん、確かに! 産業の発展と革命政府のこれからの発展性を見た場合、シャンパーニュの魅力的な味わいと心惹かれる泡立ちを見たら、将来に希望が持てる気がしてきますよね。さすがだなー。ダントンさん!」
ケンジ2号:
「現代でも、その気持ちは通じますよ! あっ、ところで、この後は、ダントンさんの行く末はどうなったの?」
ダントン :
「それがナー……。これからの人生、あまり良くないんだよ……。パリの群集が獄中にいる反革命容疑者を大量殺害した事件(9月の大虐殺)の件で、私が阻止できる立場にありながらも、何もかかわらず何もしなかったという嫌疑をかけられるし、もちろん私は、そんな虐殺を望んだり、指導したりしなかったのだが……。 そして、1792年10月10日、私にジロンド派が機密費の報告を要求し、その弁明が受け入れてもらえず、やむなく、私は法相を辞任。 その後、私は、国民公会議員に選出されると。 1792年11月20日になると、国王の謀反の秘密文書が発見されて、これが大変な問題となる。そこで、 12月11日、国王裁判を開始し、翌年の1793年1月15日には、国王の有罪が可決されるわけだ。 1月19日には、私も国王の有罪に賛成し、国王処刑の決議が可決された。そして1月21日、とうとうルイ16世がギロチンにかけられて死刑に処されたんだよ」
ケンジ1号:
「その当時、これは、大変な出来事だったでしょう? なにせ、一国の王が自国の民の手により、処刑された。また、貴族はもちろんのこと、この革命に反対した者までも全て、処刑されるのですからね。ヨーロッパ諸国の王侯貴族たちは、自分たちの国も革命の嵐が吹き荒れるのではないかと恐れたでしょうね」
ダントン :
「ふむ、その通り。まず、王妃の母国である神聖ローマ帝国皇帝に君臨するオーストリアのハプスブルグ家、続いてベルギー、プロシア(ドイツ)、イギリス、オランダ、スペイン、そして、ロシアなどが宣戦布告した。ベルギーは占領したし、ベルギー、ラインラントを併合するに至ったが、戦況は決してよいとは言えなかったね」
ケンジ2号:
「その情勢の中、ダントンさんは何をされてらしたんですか?」
ダントン :
「このころから、モンターニュ派の指導者の一人として行動するのだが、政的ライバルであるジロンド派から、汚職を追及されるようになるだよ。あれは、正直言って参ったね。しかし、1793年7月まで、祖国防衛のための勢力団結に尽くして、さらに、革命裁判所の創設にも貢献したのだよ。自分で言うのもなんだけど……。そして、公安委員会の議長も務めさせていただくに至ったのだよ」
ケンジ2号:
「全然、運勢悪くないじゃないですか! 逆に素晴らしいと思いますよ。ダントンさん!」
ダントン :
「ケンジ2号、まあ、落ち着いて聞きなさい。この後、ジロンド派の将軍で、1792年にジロンド派内閣の外務大臣も務めたこともあるデュムーリエが1792年11月6日に対オーストリアにジェマップの勝利でベルギーを併合した。その後、翌年の1793年3月18日に、ネ−ルヴィンデンで敗北した事をきっかけに、デュムーリエが裏切ったことにより、私への告発の遠因となったのだよ」
ケンジ2号:
「どうして、そんな風になっちゃうの?」
ダントン :
「それは、一時、私は特使としてベルギーに派遣され、その際にデュムーリエと親しく親交をもったということに関係があるみたいだね。それと同時に、次第にロベスピエールとの対立を深めたこともあり、遂に私は公安委員会から締め出しをくってしまったのだよ」
ケンジ1号:
「それは、大変なことになりましたね! あのロベスピエールですからきっと、粛清しようと企んでいますよ!」
ダントン :
「ああ、彼の性格上、そうしてくるのは間違いないのは分かったが、ただ、これは私個人の問題などどうでもいいことなのだよ。私の願うことは、フランス国民が早く平和で幸福に暮らせること。それを実現させるよう活動しているだけだ。で、私がやらなけれならないことは、ロベスピエールをはじめとして公安委員会がしいている恐怖政治の終結を早期に行うことだと思い活動しはじめたのだ」
ケンジ1号:
「ああ、それで、あなたがいわゆる『寛容派』と呼ばれるようになるのですね」
ダントン :
「その通り! そしてあの忘れもしない1794年3月10日に、我々ダントン派は逮捕され、4月5日私とデムーランと共に『寛容派』は、処刑されたのだよ……」
ケンジ2号:
「うっ、そんなぁー(思わず涙が流れ、今にも泣き叫びそう)」
ケンジ1号:
「あなたの、 『大胆なれ、更に大胆なれ、常に大胆なれ』 この言葉は、フランスを救った言葉であり、永遠です! それに、そんな言葉がピッタリのシャンパーニュ。これを飲むたび、あなたの事を思い出すでしょう。ダントンさん!さようなら。また、近いうちにお会いしましょう」
ダントン :
「君たちが、そういうふうに言ってくれて私は嬉しい! では、さらばー!」
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